【ミス・ビードル号のおはなし】
リンドバーグの大西洋無着陸横断が成功した昭和2年(1927)以後、太平洋を渡る冒険に世界の目は注がれていました。1930年代、挑戦者たちは離陸の場所として三沢村を選び次々とやって来ました。北米大陸に近く、また堅い砂浜が滑走路として利用できたからです。
4番目の挑戦が、アメリカ人2人組、パングボーンとハーンドンが乗るミス・ビードル号という朱色の飛行機でした。昭和6年(1931)10月4日午前7時1分、ミス・ビードル号は離陸に成功。途中の暴風雨は高く飛ぶことでやり過ごし、寒さと戦いながら41時間10分の飛行でついに北米大陸に到達しました。現地時間10月5日午前7時11分、大勢の出迎えが待つワシントン州ウェナッチの飛行場に胴体着陸しました。車輪と脚は重量と空気抵抗のため離陸直後に投下していたのです。
全米のヒーローとなったパングボーンとハーンドンですが、飛行の話を求めれられると、必ず三沢村の温かいもてなしと支援について深く感謝していることを熱心に話したといいます。 これを契機に、三沢とウェナッチは現在も町をあげた交流をさかんに行っています。
■引用 『伝えたいふるさとの100話』 一般財団法人 地域活性化センター編(2004年)
4番目の挑戦が、アメリカ人2人組、パングボーンとハーンドンが乗るミス・ビードル号という朱色の飛行機でした。昭和6年(1931)10月4日午前7時1分、ミス・ビードル号は離陸に成功。途中の暴風雨は高く飛ぶことでやり過ごし、寒さと戦いながら41時間10分の飛行でついに北米大陸に到達しました。現地時間10月5日午前7時11分、大勢の出迎えが待つワシントン州ウェナッチの飛行場に胴体着陸しました。車輪と脚は重量と空気抵抗のため離陸直後に投下していたのです。
全米のヒーローとなったパングボーンとハーンドンですが、飛行の話を求めれられると、必ず三沢村の温かいもてなしと支援について深く感謝していることを熱心に話したといいます。 これを契機に、三沢とウェナッチは現在も町をあげた交流をさかんに行っています。
■引用 『伝えたいふるさとの100話』 一般財団法人 地域活性化センター編(2004年)